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丹原の祭り文化の復興

平成15年1月26日 朝日新聞朝刊記事 地方祭りの灯合併が消す
■記事内容
高齢化で担い手不足に悩む祭りや伝統行事が、市町村合併によって、さらに衰退していくのでないか・・・
1950年代半ばの「昭和の大合併」以後、祭りを支えてきた共同体よりも行政単位のまとまりが強くなり、祭りの衰退を促したとみられる例があるからだ。さらに広域で行われる「平成の大合併後」は異なる民族文化圏にまたがるため、地域文化の画一化が促進されるおそれがあるという。
西条市と丹原町の合併
西条祭りはだんじりや太鼓台等の山車中心の祭りだが、丹原町にそのような文化はない。合併後は「西条市」となるため、町民からは、「丹原の秋祭りも西条祭りになるのか?」という声も上がっている。

■へんぷくさんより御指摘
私たちの聞き取り調査では古くより丹原の町にはだんじりやみこしだんじりがあったと言い、古写真や古い部品も残っています。記者は丹原の町と田野とを混同して書いたものと思われます。「丹原町にそのような文化はない。」などと衰退しきった時の状況だけから言わせたくはないと思いました。

1991年聞き取り
丹原町のみこしとだんじり 沼田明翁 談 (明治38年生まれ)
西部(上町)に、みこしがあった。今は房と締太鼓だけ残っている。みこしは金糸で刺繍。三角に出て、房がついて、大きな車があった。二輪で木の車。ひっぱりよった。
羅紗の赤黒の重に竜の布団締めがついとった。〆には目玉や爪があった。去年の2月に焼いた。会所が古くなって雨漏り。くさってしもとった。昼提灯もあった。
だんじりは上町、下町、久妙寺、願連寺、今井、池田に6台あった。(西条市橘坂元・北山の先々代屋台が丹原町久妙寺に譲渡されている。)
久妙寺の橋を「だんじり橋」という。大正の始めくらいまでは、にぎやかだった。西部(上町)と東部(下町)に2台残っとった。
上町のだんじりは国安村の田中なんとかいう人が彫った。前に「うーわん」の鯉がついとった。

古写真

2008年4月20日に40年ぶりに丹原町上町に御輿楽車(みこしだんじり)が復活しえびす神社春祭りに奉納されました。丹原で長年廃れていた「文化」が復興したのです。太鼓の叩き方や囃子も丹原流で西条とは少し異なります。
西条市と合併したことで、旧西条市の御輿楽車関係者の協力もあって復興は進みました。西条流や新居浜流に画一化することのないよう丹原の独自性を大切に復興しました。
歌や囃子は古老に聞き取り「文化」を伝えることができました。


復興後、東京に住む丹原上町出身の古老に喜んでいただき、昭和20年代の「動いている古写真」を送付していただきました。
昭和20年代の「動いている古写真」と40年ぶりに復興したセピア調の御輿楽車写真
少々飾りが大きく派手になったけれど、古写真とそっくりな「丹原流」になっていました。

愛媛新聞ではきちんと取材をしてくださり、40年ぶりの復興を大きくカラーで報道してくださいました。