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地方祭りの灯合併が消す


以下、平成15年1月26日 朝日新聞朝刊より抜粋

高齢化で担い手不足に悩む祭りや伝統行事が、市町村合併によって、さらに衰退していくのでないか・・・

1950年代半ばの「昭和の大合併」以後、祭りを支えてきた共同体よりも行政単位のまとまりが強くなり、祭りの衰退を促したとみられる例があるからだ。さらに広域で行われる「平成の大合併後」は異なる民族文化圏にまたがるため、地域文化の画一化が促進されるおそれがあるという。

「昭和の大合併」(過去の例)

■丹原町田野上方の綾延神社の秋祭り
氏子は中世以来の共同体「田野郷」に広がり、祭りは例年、神主没する人を選び、その家に神社の御借家を建てて祭る16世紀初頭の洋式を保ってきた。祭り当日は、農具や生活用品等の数十の露店が並び、約1万人の人々でにぎわっていたという。ところが、55〜56年に田野、中川両村等5町村ができた頃から「田野卿」としての共同体が崩れ、行政単位のまとまりが強まった。祭りの露店は3〜4店に減り、同神社の宮司でさえ後継ぎがいなくなった。

■松山市の場合
同市は54〜68年に10村を編入合併。吸収された村の秋祭りのほとんどは10月14、15日だったが、合併後は松山市と同じ6,7日に統一された。「市役所と同じ休みの方がいい」という公民館単位の議論だったという。

「平成の大合併」でできる「新市」の懸念

■西条市と丹原町の合併
西条祭りはだんじりや太鼓台等の山車中心の祭りだが、丹原町にそのような文化はない。合併後は「西条市」となるため、町民からは、「丹原の秋祭りも西条祭りになるのか?」という声も上がっている。

■松山市と北条市の合併
松山市のまつりはけんかみこしや獅子舞が中心。合併相手の北条市は、古いタイプのだんじりや弓祈祷等、東予地方(道前)の文化圏に近い。